弁護士 田村 淳
建設現場で死亡事故が発生すると、ご遺族は突然の出来事の中で、葬儀や各種手続に追われながら、会社や元請との連絡、警察・労働基準監督署への対応にも向き合わなければなりません。しかし、事故原因や責任の所在、どこまで補償を受けられるのかは分かりにくく、「労災保険で終わるのか」「会社や元請に責任を問えるのか」「まず何を確保すべきか」といった疑問を抱えたまま時間が経ってしまうことが少なくありません。
建設業の死亡労災では、墜落・転落事故を中心に、安全措置や管理体制の不備が原因となる例が多く、労災保険とは別に、会社や元請の安全配慮義務違反として損害賠償責任が問題となることがあります。その判断の土台になるのが、事故の状況や安全管理の実態を裏づける「証拠」です。ところが建設現場は工事の進行で状況が変わりやすく、映像や記録が短期間で消えることもあります。初動で何を押さえられるかが、後の交渉や訴訟の見通しを大きく左右します。
本記事では、建設現場の墜落死亡事故を中心に、会社・元請に責任追及が可能となる典型例と、責任追及に直結する証拠の確保方法、そして証拠の散逸を防いで適切な請求につなげるために弁護士が果たせる役割を、実務の視点から分かりやすく解説します。
①労災死亡事故で問題となる法的責任(労災補償、民事賠償、刑事責任等)の全体像
②元請会社や役員個人にも責任が及ぶことがある理由と、裁判例での判断のポイント
③事故後の手続や証拠確保において、弁護士が支援できる具体的な内容
建設現場で労働災害、特に死亡事故が発生した場合、事業主や関係者は一つの責任だけを負うわけではありません。実務上は、複数の法的責任が同時に問題となることが多く、事故後の対応を誤ると、企業や関係者に極めて大きな影響を及ぼします。
まず前提として、労災事故が発生した場合、事業主には労災補償に関する責任が生じます。労働者が業務中に負傷し、あるいは死亡した場合、労働基準法および労災保険法に基づき、療養補償や休業補償、遺族補償などが行われます。多くの事業者は労災保険に加入しているため、実際の給付は国が行いますが、これはあくまで最低限の補償にすぎません。
労災保険の給付を受けていたとしても、それとは別に、被災した労働者本人や遺族が、会社や関係者に対して損害賠償を請求することは可能です。
実務上、労災死亡事故で最も大きな争点となるのは、この民事上の損害賠償責任です。請求の法的根拠としては、主に次の二つが問題となります。
①安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求(債務不履行)
使用者は、労働者が安全かつ健康に働けるよう配慮すべき義務を負っています。
この安全配慮義務は、労働契約法5条および民法415条(債務不履行)を根拠とするもので、単に形式的な注意喚起をすれば足りるものではありません。
この安全配慮義務を怠った結果、労災死亡事故が発生した場合、会社は債務不履行責任として損害賠償責任を負うことになります。
この安全配慮義務の法理を明確に示したのが、陸上自衛隊員が車両整備作業中に死亡した事故に関する最高裁昭和50年2月25日判決です。
同判決は、次のように判示しています。
「国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解すべきである」
さらに、安全配慮義務の性質について、
「右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものである」
と述べています。
この判決により、安全配慮義務は、単なる道義的配慮ではなく、雇用関係などの特別な社会的関係に基づいて、信義則上当然に導かれる法的義務であることが明確になりました。
また、同判決は、「その具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである」
とし、現場の状況や作業内容に即した具体的判断が必要であることも示しています。
②不法行為責任が併せて問題となる場合
事案によっては、安全配慮義務違反(債務不履行)に加えて、不法行為責任が併せて問題となることもあります。
具体的には、
・民法709条の一般不法行為責任
・管理監督者個人の過失
・土地工作物責任や設備の欠陥
などが争点となり、現場の管理状況や設備の安全性が詳細に検討されます。
特に建設現場では、元請・下請・現場責任者など関係者が多岐にわたるため、誰がどの範囲で安全管理を担っていたのかが、民事責任の成否を左右します。
建設業の労災死亡事故では、元請会社の責任が問われるケースも少なくありません。
❶東京地方裁判所昭和61年12月26日判決
この事件では、工場増設工事の現場において、日雇い労働者が地盤転圧作業の補助中に転倒し、地面から突出していた鉄筋が顔面に刺さり、頚髄損傷により死亡しました。被災者は下請業者を通じて現場に入っていましたが、工事全体は元請会社が統括していました。
裁判所は、元請会社と被災労働者との関係について、「雇用関係に類似ないし近接する特別な使用従属的法律関係を認めるのが相当」と述べ、形式的な雇用関係がなくても、安全配慮義務が認められる場合があることを明確にしています。
そして、当該現場の危険性について、「突出した鉄筋が不規則に林立する状況の下で、重量のある転圧機をロープで引いて誘導する作業は、転倒すれば重大な事故につながる危険が客観的に予見される」とした上で、「右危険を防止ないし除去するための人的、物的措置を講ずべき安全配慮義務を負っていた」にもかかわらず、鉄筋へのキャップ装着や作業方法の見直し、安全教育が行われていなかったとして、元請会社の安全配慮義務違反を認定しました。
この判決は、「元請会社であっても、現場を統括し、安全管理について指示命令を行っている以上、責任を免れない」という点を明確に示しています。
❷東京地方裁判所昭和50年8月26日判決
この事件では、建築工事現場の二階床面に設けられていた将来階段が設置される予定の開口部から、下請会社の従業員が墜落し、頭蓋骨折・硬膜下血腫により死亡しました。事故当時、開口部の周囲には手すり、囲い、覆いといった墜落防止設備は一切設けられていませんでした。
裁判所は、まず元請会社と下請会社従業員との関係について、「下請人の従業員が元請人の支配管理する施設内において元請人の直接の指揮監督のもとに労務を提供する場合には、元請人と下請人の従業員間には使用従属の関係にある労働関係が生じているものというべく、元請人は、下請人の従業員に対し、その安全を保証するべき義務を信義則上負う」としました。
その上で、本件事故との関係では、「工事現場二階の床面に存する開口部の周辺で作業をさせる場合には、その開口部の周囲に手すり、囲い、覆いなど墜落防止のための設備を設けるべき義務がある」にもかかわらず、これを怠ったとして、元請会社の安全保護義務違反(債務不履行)を認定しました。
元請会社側は、「開口部の周囲には型枠加工材が積み重ねられており、実質的に手すり代わりになっていた」と主張しましたが、裁判所はこれを明確に退けています。「右加工材は仕事のために置かれたもので、被告らが転落防止のためにてすり代りに置いたものではない」「かえつて作業員に開口部付近に近づいて作業させることになり、危険でさえある」と判示し、偶然存在していた物品によって安全措置に代えたと評価することはできないとしました。
会社だけでなく、役員個人の責任が認められる場合もあります。
❶東京地方裁判所平成24年4月19日判決
この事件は、建設会社の契約社員が、建設現場における鉄筋組接合作業中、鉄筋枠組が倒壊し、脚立から転落して頚椎・頚髄損傷を負い、数日後に死亡した事案です。
裁判所は、まず安全配慮義務の一般論として、「労働契約上の使用者は、労働者が労務提供のために設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示の下に労務を提供する過程において、労働者の生命、健康等を危険から保護するよう配慮する安全配慮義務を負っている」と判示しました。
その上で、問題となった鉄筋組立作業について、重量物である鉄筋枠組を扱い、倒壊や転落の危険性が高い作業であったことを前提に、「作業員の安全を図るため、技能を有する作業員を派遣したうえで、作業に当たり具体的な安全指導を行う現場監督を置くなどの安全配慮義務を尽くさなかった」として、会社の安全配慮義務違反を明確に認定しました。
そして、本件では会社だけでなく、現場で実質的に業務の指揮・監督を行っていた役員個人についても責任が認められました。裁判所は、「本件契約社員が建設作業の経験、知識に乏しいことを知りながら必要な技術的指導を行わず、また、本件建設現場の安全管理を行う現場責任者を配置することもせず、ただ漠然と「けがをしない様に気を付けて」などと話をするのみで、本件建設現場における必要な安全対策を講じていなかった」として、当該役員についても安全配慮義務違反に基づく不法行為責任が成立すると判断しました。
この裁判例は、形式的な役職や雇用関係にとどまらず、「誰が現場を実質的に支配・管理していたか」が、責任判断において極めて重要であることを示しています。
安全配慮義務の主体は、民間企業に限られません。岡山地方裁判所倉敷支部平成30年10月31日判決では、市との契約に基づき樹木の伐採作業をしていた作業員が、他の作業員が伐倒した木に当たり重い後遺障害を負った事案について、契約の実態は雇用契約に近いとして、市の安全配慮義務違反が認められました。ヘルメット着用の徹底など、基本的な指示指導を怠った点が問題とされています。
これらの民事責任とは別に、刑事責任が問われる場合もあります。労働安全衛生法に違反し、必要な安全対策を怠った場合には、懲役刑や罰金刑が科されることがあります。この場合、法人だけでなく、代表者や現場の管理者が処罰の対象となることもあります。
さらに、業務上必要な注意を怠って労働者を死傷させた場合には、刑法211条の業務上過失致死傷罪が成立する可能性があります。水戸地方裁判所平成15年3月3日判決では、規定外の方法でウラン燃料を加工した結果、作業員が死亡した事故について、事業所長や管理職ら複数名に業務上過失致死罪の成立が認められました。
また、東京地方裁判所平成17年9月30日判決では、ビルに設置された大型回転ドアに児童が体を挟まれて死亡した事故に関し、過去に同種事故が発生していたにもかかわらず十分な対策を講じなかったとして、メーカーの取締役およびビル管理会社の責任者らに業務上過失致死罪が成立すると判断されています。
このように、建設業における労災死亡事故は、労災補償にとどまらず、民事上の高額な損害賠償責任、刑事責任、さらには行政処分へと発展する可能性があります。場合によっては、会社だけでなく、元請業者や役員個人、公的主体にまで責任が及ぶこともあります。
建設現場の死亡事故で会社や元請の責任を追及する場合、民事(交渉・訴訟)では、原則としてご遺族側が、使用者側の安全配慮義務違反等を主張・立証していく必要があります。
そのためには、少なくとも次の点を裏づける資料が求められます。
ところが、事故直後から時間が経過すると、現場の状況は変わり、関係者の記憶は薄れ、映像・電子データは消去されることがあります。
「原因がはっきりしないまま」では責任追及の見通しを立てられず、交渉や訴訟の局面で不利に働きかねません。したがって、早期の証拠確保が重要になります。
① 事故の状況・原因を明らかにする証拠
② 会社・元請の安全配慮義務違反(管理体制の不備)を示す証拠
③ 元請の責任を検討するうえで重要な「指揮監督関係」を示す証拠
下請労働者の事故で元請責任を追及する場合、形式的な契約関係だけでは足りず、元請が実質的に指揮監督していたかが争点になりやすいところです。
④ 損害(賠償額)を裏づける証拠
① ご遺族
まずご遺族の側で確保できるものがあります。たとえば、故人の手帳やメモ、業務の予定が分かる記録、事故後に受けた説明内容のメモ、可能な範囲での現場状況の写真などです。これだけでも後の整理に役立ちますが、それだけで責任追及に足りることは多くありません。
② 会社や元請
会社や元請に対して、事故報告書や作業手順、安全管理の記録、教育資料などの開示を求めることになります。建設現場では、墜落防止措置(足場や開口部の養生、手すり・覆いの有無)、墜落制止用器具の支給・点検・使用状況、危険予知活動や安全パトロールの記録、施工体制や指揮命令系統が分かる資料などが、事故原因や責任の判断に直結します。
③ 労働基準監督署
労災申請を進める過程で、労働基準監督署が関係者から聴取を行ったり、会社側の資料を確認したりすることがあり、その結果が後の交渉・訴訟の重要な手掛かりになる場合があります。
労働局への個人情報開示請求によって、労基署が労災手続きの過程で収集した資料等の開示を受けることが可能です。
もっとも、医師や関係者の供述、意見、現場写真等記載された部分については黒塗り(非開示)となることが多いため、十分な証拠と言い難い場合もあります。
④ 裁判手続きを利用した証拠収集
会社や元請が資料の開示に応じない場合や、証拠が消えるおそれがある場合には、裁判所を通じて証拠を確保する方法も検討します。たとえば、訴訟前に現場状況や記録を押さえる証拠保全、訴訟提起後に裁判所を通じて文書の提出を求める手続などです。
弁護士に依頼する意義は、単に手続を代行する点にとどまりません。どの資料が「責任のポイントとなるか」という見立て、証拠の散逸を防ぐための動きを早期に取り、会社・元請との交渉や労基署対応、必要なら裁判手続までを一貫して対応することができます。
ご遺族が深い悲しみの中で、限られた時間内に膨大な資料を集め、争点を整理し、適切な請求につなげることは現実的に大きな負担になります。だからこそ、建設業の労災死亡事故では、早い段階で弁護士に相談し、証拠の集め方と進め方の方針を確定することが、正当な補償の実現に直結します。